FUJIFILM X-T100 XF18mmF2

海軍さんのカレー(辛口) 連合艦隊カレー(ちょっと高い) レトルトです。

赤れんが博物館にピッカピカに磨いた鏡がある。 もう、ピッカピカすぎて、初め気づかなかったほどである。

さて、写真には載せてないんだけど、赤れんがパークを出て、海上自衛隊の基地へ行って護衛艦に乗れる?イベントか何かやっていたので、そっちに行くか、舞鶴引揚記念館に行くか迷う。
ぼくは、護衛艦に乗りたかったけど、よめさんが引揚記念館がいいというので、そっちへ行く(^_^;
クルマで移動。 10分ほど。
二葉百合子の岸壁の母の世界である。
知らんだろうなあ、若い人は。
戦後、大陸から引き揚げてくる日本の将兵や民間人が帰還した場所が舞鶴港である。
息子や夫の帰還を、何年も待ち続ける岸壁の母や妻がいたのである。 かつて、舞鶴には。
特に、敗戦後、満州にいた関東軍(旧日本陸軍ですよ)の多くの将兵がソ連に抑留され、シベリアのラーゲリ(強制収容所)で暮らしながら強制労働を強いられる。
酷寒と過酷な労働、栄養失調によってバタバタと倒れ亡くなっていく。
悲惨極まりない国際法違反の抑留生活というより奴隷生活である。
ボランティアの案内担当者がいて、説明してくれる。
その人のお父さんが、シベリア抑留者なのである。
8月13日に、つまり終戦の2日前に召集され満州へ向かう。
そして、シベリアの強制収容所で二年間を過ごす。
夜、酷寒の丸太小屋で寝る。
二段ベッドの上から、ノミやシラミがボタボタ落ちてくる。
なぜか?
上のベッドで寝ている人が亡くなったのである。
ノミもシラミも、死人からは血を吸えないから、新しい人を探して落下してくる。
翌日、凍土を掘り返すのは困難なので、遺体は森の中に積み上げておく。 春になると、埋葬する。
しかし、そんな中でも人間は偉大だなあと思ったことがある。
作業が終わってから、白樺の皮をはがすのである。 これは紙の代わり。
そして、薪の燃えカスの炭を水に溶かして、それを枝の先をとがらせたペンを使って書く。
白樺の皮にびっしりと小さい文字で日記や短歌が記されている。
そういうのが展示してあった。
後、解放された引揚者のお土産?っていうのかな。 小さな口紅が展示されている。 どのような経緯で手にいれることができたのだろう。 ロシア人からもらったものなのか?
僕に説明してくれたボランティアの人のお父さん。 2年間の抑留生活の末に生きて帰還した人。
彼が、娘のために(つまりそのボランティアの女性のために)持ち帰ったものである。
それも展示してあった。
ううむ。
いろいろ考えさせられた。
戦争は悲惨なものである。
日本は大陸を侵略したといわれるけど、一人ひとりの兵隊は、普通の労働者であり農民であり市民だ。
彼らは、加害者であったかもしれないけど同時に被害者である。
いろいろ考えさせられる場所であった。
ちなみに、写真撮るような雰囲気ではなかったので撮ってないのである(^_^;
長文どもでした。

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東郷ビール もともとはフィンランドで作られたらしい。
そういえば、東郷通って道路まであるんだよなあフィンランド。
長年、ロシアの干渉に苦しめられていたからなあ。



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