MINOLTA X-700 ネガフィルム(多分フジカラー)サービス版からスキャン

昼間からウォッカをラッパ飲みする男性(^_^; 
ピオニール(共産主義少年団)の子供たち 
ピオニールキャンプを訪問 歓迎してくれる高学年の女子 焼き立てのパンと塩 
ピオニールキャンプの指導者 コムソモール(共産主義青年団)の責任者 
ご好評につき(ウソですよ。他にネタがないだけです(^_^) ソ連邦シリーズ第二弾。
僕がソヴィエトに行ったの1984年でした。 ロサンゼルス五輪の年です。 空港に向かうバスの中で瀬古が走っているの見ていたもの。
2年後にチェルノブイリの原発事故が起こって・・・ その後、ガタガタになるんだよなあソ連。
僕が行ったときは、アンドロポフが急死してチェルネンコに代わった時です。 共産党の指導者。 その後、彼も急死して、ゴルバチョフになるんだけど。
ま、ソヴィエトがまがりなりにも安定していた最後の時期と言えるのかなあ。
市民の生活は平和そのものだった。
今も覚えているのは、ハバロフスクで夜、アムール川に沿って散歩していると、公園の中で若い男女の歓声が聞こえるのである。
あちこちで。
高校生?大学生?ぐらいが鬼ごっこ?みたいなことをしている。
ううむ。 夜、遊べるようなネオンキラキラみたいな場所がないからね。
一昔前の青春ドラマを見ている感じで微笑ましかったですなあ。
ピオニールのキャンプでは、担当者がこの子たちには近くの牧場や農場で採れた一番いい牛乳と肉と野菜が提供されるんだよ!と胸を張っていた。 子どもは国家の宝だから。
指導しているコムソモールの女子大生に、子どもを指導していてタイヘンなことはないの? と聞くと、しばらく考えてから、一人ひとりの子どもにとってのキーワードを見つけることだと答えた。 なるほど。 しっかりしているなあ。
街のデパートや市場を見て歩く。 西側的な感覚で見ると、ぜいたく品はないし、品ぞろえも乏しい。 でも、生活必需品や食料品はそろっているし、安い。 基本、失業はないし、教育費や医療費は無料またはそれに近い。
なるほど、これが社会主義社会か・・・と納得する。
もっとも、当時の僕なんかは全く知らなかったけど、水面下で崩壊の序曲・・・みたいなのが進んでいたんだろう。
腐敗した官僚制。 一部の党幹部への権力集中と国家機関の私物化。 反体制派への容赦ない弾圧・・・などなど。
そんなことを口にはしないまでも、薄々はみんな知っていたはずだ。 ソヴィエトの市民は。
しかし、少なくとも安定して食っていくことはできる。
ここが大事なところだよなあ。
安定して生活できる。 食っていける(と思っている)間は革命は起こらない。
食っていけなくなる!と感じたときに世の中はドラスティックに変化するのである。
そう思いません?
1989年にベルリンの壁が壊され、1991年にはソ連邦が崩壊する。
あっという間だよね。
歴史が変わるときって。

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