MINOLTA X-700 ネガフィルム(多分フジカラー)サービス版からスキャン
街角でちょっとした食べ物や飲み物を売っている これは何だったか忘れた(^_^;
本や雑誌を売っている店 ここで新聞や写真集を買った もちろんロシア語なので意味は分からず
ここどこだったかなあ キエフ(現ウクライナの首都)だったかなあ 忘れた
シベリア鉄道に一泊だけする 窓外には荒涼たる風景しか見えない それに寒い しかも僕は二段ベッドの上の段 狭くて、柵も何もない ズボンはいて、ベルトを壁のフックにかけて 落下に備えて寝ていた
エルミタージュ美術館でガイドの説明を聞く 彼女と僕はひと悶着あった・・・ 詳しくは本文を見よ!
スモーリヌイ
ちょっと説明しておく。 僕が今回のソヴィエト旅行で一番行きたかった場所である。
革命直前までは、貴族のお嬢さん達の通う寄宿制の女学校であった。 ロシア革命時(10月革命)にはボルシェビキの本部が置かれていて、ここからレーニンが冬宮への突撃を命じる。
だから庭にレーニンの銅像が立っているの分かります?
ちなみに十月革命は「暴力革命」みたいに言われるけど、実際にはほぼ無血革命に近い。
革命後、ロシア各地で内戦が行われるんだよなあ。
この辺、日本の明治維新と似ている。
大政奉還って、無血革命だものね、それ自体。
その後、戊辰戦争や士族の反乱(西南戦争など)が起こるわけで。
革命ってそういうことか。
ところで、僕がここに行きたかった理由なんですけど。
「世界をゆるがした十日間」って本、読んだことあります!?
アメリカ人のジャーナリスト、ジョン・リードの書いたルポタージュ文学の傑作である。 (どうでもいいけどIMEって、るポタージュとしか変換しないのは何故だ(^_^;)
ジョン・リードはこのスモーリヌイに泊まり込んで、世界に情報を発信する。 そして「世界をゆるがした十日間」を書くんだよね。
歴史が変わる瞬間に、その場にいて、自分の目で見たこと・聞いたことを書く。
ルポタージュ(るポタージュではない)という形式は、彼が作り出したと言っても過言ではない。
ちなみに映画「レッズ」の中では、ジョン・リードをロバート・レッドフォードが演じていた。
「世界をゆるがした十日間」はアメリカをはじめ世界中で高い評価を得る。 が、その後、ソ連では発行禁止になるのである。
理由はスターリンについての記述が二度しか出てこないからだ(^_^;
レーニンやトロツキーは何度も出てくるんだけどね。 この点、ジョン・リードはスターリンという人物の本質までも見抜いていたのかなあ。 そういう点も、僕がジョン・リードをすごいと思う理由である。
さて、モスクワの思い出も最終回。
といっても、ハバロフスク・キエフ・モスクワ・レニングラード(現サンクトペテルブルク)の四都市を周ったから、どれがどこで撮った写真か分かりません。
なので、今回もモスクワの写真が一枚もないって可能性もあります。 あしからず(._.)
35年も前の旅行なので、記憶も曖昧なんだけど、総じてソ連旅行は楽しかった。 それは間違いない。
質素だけど清潔で健康的で親切で、平和でのんびりとした雰囲気。
それに意外と自由。
空港に降りたときから写真も自由に撮れた。
観光旅行客は団体ツアーしか受け入れないし、宿泊場所も外国人専用のホテルに限られている。
でも、街の中では自由に行動できるし、結構観光客で賑わっている。
西側からの観光客は少なくて、東欧系やベトナム人が多い。
僕たち日本人観光客は何度かベトナム人と間違えられた(^_^;
しかもである・・・
女性は皆とびきりキレイである。
ホントである。
アエロフロートのスチュアーデス(今はキャビンアテンダントと呼ぶのか)が信じられないほど美形であった。
その点、男は・・・・・
僕がオトコだから女性には甘く、男性に厳しくなるのか!?
僕らのツアーグループについた最初の通訳がひどい奴だった。
キエフ大学の日本語学科(東洋学科?)の学生かなんかだけど、バスの中でマイクを持って説明することがあまりなくて、バスの前の方に座っている女子大生何人かといつでもおしゃべりしているのである。
女子大生に聞くと、あれは何とか寺院で・・・こういう歴史があって・・・と流ちょうな日本語で説明してくれているらしい。
ううむ。
そこで、全員に分かるようにマイクで説明してよ!というと、少しはそうするんだけど。
結局、女子大生グループとぺちゃくちゃが始まるのである。
頭にきて、あいつしばいたろか!?と友達に言ったら、そいつ目がすわっていて、やったる!と低くつぶやいた。
彼は柔道の有段者で、しかも元暴走族である。 (本人はマッハ族であると主張するけど(^_^;)
バイクの事故でどっちかの足の親指がとんでしまって、母親に泣かれて暴走族をやめ、今は中学校の社会科教師をやっているという、よく考えると結構な人生を歩んでいるやつなのだ。
僕は、こ・これはひょっとして国際問題になりかねん・・と危惧したけど、途中で通訳が交代したのである。
ふ~
こんどは中年の女性で(その時は結構なおばちゃんだと思っていたけど、35年ぶりに写真で見るとそんなに年配ではなかった)メチャクチャしっかりしている人である。
彼女は、レニングラード包囲戦のさなかに、ドイツ軍に包囲されたレニングラード(現サンクトペテルブルク)で産まれたのだ。
これはすごい話である。
知ってます? レニングラード包囲戦。 僕も今ウキペディアで調べましたけど(^_^;
900日間、ドイツ軍に包囲されるのである。
その間、67万人(一説には100万人)が死亡する。
これは実に、沖縄・広島・長崎・東京大空襲など大戦中の日本の民間人戦死者の総数を上回る数なのだ。
その中でも、私の両親は祖国の勝利を信じて私を産む決断をしました。
そして、レニングラードは解放されました。
パチパチパチ・・・聞いている僕達は拍手・拍手。
で、その彼女にエルミタージュを案内してもらっている時、僕は水晶で出来た巨大な宝物・・・鳥だったかなあ?詳しくは忘れたけど・・・を実はプラスチック製なんじゃないの?と言ったのである。
ブチっときたようでしたね、彼女。
音がしましたブチっと(^_^;
いえ、これは全て水晶です。
と真顔で答えて、それ以降、他のメンバーには笑顔で説明するのに、僕にだけ笑いかけなくなった。
ううむ。
関西人のノリは通じなかったのである(;.;)
後、真夏に行ったんだけど、ビールが冷えてないんだよなあ。
てか、ビールを冷やすという習慣がないみたいで、その代わりウオッカやワインはギンギンに冷やしていた。
ううむ・・・
わしはきりっとよく冷えたビールを飲みたいんだよ~ 誰でもそうだと思うけど。
ま、今行ったらソ連も・・・じゃなかったロシアやウクライナもすっかり変わっているだろう。
でも、35年前のような感動はないかもしれん。
僕が若かったってこともあるし、何といっても生産システムや政治組織が180度違う国だったからね、当時は。
てなことで、セピア色の写真と曖昧な記憶でつづるソ連旅行記はこれでおしまいでございます(._.)
長文、どもでした(._.)
にほんブログ村
モスクワだったかレニングラードだったか
釣りをする少年たち
にほんブログ村