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蛤御門(はまぐりごもん)である。 いわゆる禁門の変の激戦地だ。
前年の八月十八日の政変以降、京都政界で失脚した長州藩兵が孝明天皇への嘆願書を携えて大挙上洛。
御所を警護する会津・桑名・薩摩を中心にした諸藩の藩兵と激戦になる。 京都の中心部は焼け野原になるんだよね。
司令官はまだ将軍になっていなかった徳川慶喜である。
この戦いで久坂玄瑞は戦死する・・・んじゃなくて、敗北が決定的になってから自害するんだよね、確か。
久坂玄瑞は桂小五郎・高杉晋作らと共に長州兵の京都進発には反対であった。
が、最後まで説得したけど聞き入れられず、藩の仲間を見殺しにもできず、自らも戦闘に参加するんだよね。 この辺、西南戦争のときの西郷隆盛と似ているなあ。
禁門の変には桂小五郎も参加している。 が、戦闘には参加せず他藩への説得工作にあたっていて、敗北後は乞食姿に身をやつし、潜伏する。 (このとき逃亡を助けたのが祇園の芸姑だった幾松だよね、後の奥さん)
高杉晋作は長州にいて、禁門の変には参加していない。 脱藩の罪を問われて幽閉されていたんだよね。
まあ、本気で脱藩したんじゃなくて強硬派の説得に失敗して、やってられんわ!うっせぇわ!って感じで藩を出ていたんだと思う。 でなかったらのこのこ舞い戻って逮捕されないだろう^^;
この辺、三者三様である。
松下村塾第一の秀才と言われた久坂玄瑞は・・・最もサムライらしいよね。 負けることはわかっていたけど、同志を見捨てることはできなかった。 男の中の男!!!
桂小五郎は理性と忍耐の人である。 一貫してそうなんだよな彼は。 まあ、面白味はない・・・・歴史ネタとしては。
高杉晋作は? 仮に幽閉状態でなくて、その場にいたらどうしただろう??? 歴史にifは禁物だけどね・・・・
わしは、仮病をつかうか何かして戦いには参加しなかったと思うんだよなあ。 こんなところで犬死してたまるか!みたいな^^; そもそも脱藩騒ぎを起こしたのも、上洛不参加のための口実づくりではなかったか?
むろん、幕末のサムライである。 いざとなれば腹を切る覚悟は当然あっただろうけど、こんなところで早々に歴史の舞台から退場したくはないと思っていたように感じる。
ま、あくまで僕の想像ですよ。
いずれにせよ、池田屋事件で新撰組に殺害された吉田稔麿と禁門の変で自決した久坂玄瑞。 この二人はもう少し長生きしてどんな活躍をするか見てみたかったよなあ。 そう思いません?
もっとも、秀才!と言われた二人が早々に歴史の舞台から退場し、超慎重派の桂小五郎(木戸孝允)と天才肌と言うより宇宙人みたいな高杉晋作が生き残って、劇的な役割を果たす。
これが歴史の「必然」というものかもしれないなあ・・・とも思う。
以上、歴史好き以外には何の興味もないお話でした。 長文、どもですm(__)m
<追伸>
この時代の日本人は、自分で判断して行動する。 人の生命も平気で奪うけど、責任を取るときは平然と自分の腹を切る。 ま、それが良いかどうかはべつにして^^;
狂の一字あるのみ!って感じだね。 しかも動機が純粋に思想なのである。 これほど政治的な時代が150年前にはあったんだよなあ・・・

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表側から見た蛤御門。
柱の下の方に白い点々が見える。
「禁門の変」のときに長州兵が撃った銃痕。

裏側から、つまり御所の中から見た蛤御門。
会津・桑名・薩摩など諸藩の藩兵が長州藩兵を待ち構えていた。




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